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「晴れた日に永遠が見える」第三話












「かなたのひだりて、かなたのみぎて」




東京都下のこの郊外の町に2LDKのマンションを借りたのは、かなたと一緒に暮らすようになってからだった。喧騒から遠い、住宅や公園の多いこの街は、子育てをするイメージとぴったりだった。かなたを連れて埼玉に戻る、ということも考えたのだけれど、当初、父も母もそのことに両手を上げて賛成するムードではなかった。当然だ――二十六歳の娘が、血の繋がらない子供を育てると言い出したのだから。だから、私は出来るだけその空気から、かなたを遠ざけておくためにも、この新しい街を選んだ。
私はかなたに“自分がここにいること”に、疑問を持たせたくなかった。当時はまだ三歳だったけれど、かなたは頭がよかった。恐らく彼女は私たち大人が思っている以上に、この子供は自分の立場を理解していると思った。私はかなたにこれ以上不安な思いを一握も持たせたくなかった。だから――自分が家を出て久しいのもあって、私は実家から離れるような位置に家を構えることにした。
今では父も母もかなたを“孫の一人”として受け入れてくれて、かなたを可愛がってくれる。今年のお正月には初めてかなたを連れて実家へ帰った。父はつかさの息子とかなたを分けることなく、お年玉を渡してくれた。ぽち袋を受け取ったかなたは目を白黒させていたけれど、「よかったわね」と言って頭を撫でると、花が綻ぶように嬉しそうに笑った。
このような形になれたのはつかさのお陰だった。つかさは自分の息子を連れて、私の家と実家を行き来して、決して繋がりが途絶えないようにしてくれた。どちらかと言えば不器用な私は、かなたのことを上手く両親に納得させることが出来ずにいたのだけれど、つかさは辛抱強く私と両親の間を橋渡しをしてくれた。本当に――私はもうつかさに頭が上がらない。昔はつかさの面倒を見るのは自分の仕事、なんて考えていたのに。人生とは解からない。

「あー、柊、老けた?」
「第一声がそれか?」
連打されるチャイムに呼ばれて、ドアを開けるとそこには学生時代からよく見知った顔があった。
「日下部」私は呆れながら名前を呼んだ。「チャイムは一回でいいって前にも言わなかったか?」
「あーそっか、クマがあっからだな。何? そんなに忙しいのか?」
聞いてない。
「ちょっと依頼が多かったのよ」
「そっかー、日曜なのにごくろうさん!」
私がため息混じりに答えると、日下部は手を上げてキシシと歯を見せて笑った。
かなたのひだりて
在宅という仕事形態の所為もあるけれど、現在の私にはそんなに友人は多くない。そして、その数少ない友人たちは大抵学生時代からの旧交だ。日下部もその一人で、彼女は現在気ままに――少なくとも私には気ままに見える――意外と手堅い会社で会社員をやりながら、時折私の家をこうして訪ねてくる。
「日曜日なのに、あんたこそ暇ね」
「何だよー、そんなこと言うとおみやげやんないぞ」
日下部は誇らしげに紙袋を掲げた。その袋にプリントされたロゴは見覚えがあった。デパートの地下にあるような店のものだ。
「わ。何これ、アンタらしくないじゃない」
「あやのがさ、ここウマイっていうから寄って買って来てみたんだ。あー、後であたしにも出してくれよな?」
へへ、と頭の後ろを掻きながら笑うその顔は、本当に学生時代から変わってない気がした。
私はドアの前で身体をそらして日下部が通るスペースを開けた。日下部は「おじゃましまーす」と言いながら、軽い足取りで我が家に踏み込んでくる。
「かなた、今寝たから静かにね」
「あー、寝ちゃってんの?」
日下部は残念そうに眉を下げた。
日下部はかなたのことを好いていてくれていて、顔を合わせるといつも率先して相手をしてくれる。それは嬉しいし有難いのだけれど、日下部の独特のテンションは子供を興奮させるようで、日下部と遊んだ後はかなたはいつも寝つきが悪くなった。布団に入れても、寝てなどいられない、とばかりに眼をらんらんとさせていたりする。親としてはそれが偶に頭が痛い。
リビングに入ると、日下部はまるで訓練された犬のように真っ直ぐ寝ているかなたの側に行って、その寝顔を覗き込んだ。
「なぁ、またおっきくなった?」
ひそひそ声で日下部が言う。その口調はまるで、向日葵の生長を見守る夏休みの子供のようだ。こいつは成長とかってしないんだろうか? まあ日下部のそんなところが私も嫌いではないし、かなたも懐いているからいいのだけれど。
「この間会ったばっかだろうが。そんなに変わんないわよ」
「えー? でもこんくらいの子ってすぐでかくなるじゃん」
「そうだけれど、かなたは変わってないわよ。毎日計ってるから本当よ」
「それは計りすぎじゃね?」
日下部は呆れたようだった。私は慌てた。
「こないだの誕生日につかさの旦那から身長計をもらったのよ」
それは木の素材で作られているキリンの形をした可愛らしいものだった。お風呂上りに計れるように、洗面所の壁にかけてある。
かなたのみぎて
「へぇ」
「それで使わないと悪いじゃない」
「ふぅん」
「こ、これくらいの子は成長が早いからいいのよ!」
日下部はにやにやしている。私はお茶を淹れる為にキッチンへ踵を返した。決して空気を入れ替えるためではない。
台所に入るとき、日下部がかなたの頭を撫でながら呟いているのが聞こえた。
「やっぱ、親に似んのかな」
日下部はこなたと同じ大学だった。こなたとも親しかった。だからきちんと聞いたことはないけれど、かなたの存在は日下部なりに思うところはあるのだと思う。少なくとも日曜日にお菓子を持って様子を見に来る程には。私は日下部の呟きが聞こえなかった振りをして、キッチンの中に入った。
我が家のキッチンはカウンターの形になっていて、シンクの前に立ってもリビングが見渡せる。日本家屋のつくりの実家は台所が離れた場所にあったので、最初はこの様式が何となく“家庭”のイメージではなかったのだけれど、この形は料理をしている時でも子供の様子が見れるので、住んでいるうちに気に入った。私は日下部が持ってきたプリンを冷蔵庫にしまうと薬缶にお湯をかけた。
すると、リビングにいた日下部が隣にやってきた。それほど大きいキッチンではないので、大の大人が二人もいるとはっきり言って狭い。
「微妙に邪魔なんだけれど」
はっきり言ってやった。日下部はシンクの縁に寄りかかって、不服そうに口を尖らせた。
「柊は連れないよなー。昔からそうだよー」
「はいはい、悪かったわね。わかったから、リビングで待ってなさいよ」
「えー、だって暇じゃん」
「あんたさ、子供じゃないんだから」
「ぶー」
などと言いながらも、素直に帰っていくところは少し大人になったんだろう。日下部はテーブルのカウンターの間近の椅子に座ると、特徴的な八重歯を除かせて私に笑いかけた。
「柊はあたしには厳しいよなー」
「あんた達みたいなのは甘くしてるとどこまでもつけあがるからでしょうが」
「えー、でもちびっ子には甘かったじゃん」
日下部はちらりとかなたの方を見た。そして、すごく嬉しそうに笑った。
「でもなー、本当におっきくなったよな」
「まぁね」
ブロックの林の中で気持ちよさそうにタオルケットをかけて眠るかなたを見つめる。
最初会った時、かなたの手足は細く、その同じ年の子供と比べて小さい身体は見るからに痩せていた。当人はそれを気にした風ではなかったけれど、彼女の姿を見たときに私は言葉に詰まった。――そんな風に思ったのは間違っているのかもしれないけれど、私はその時、かなたが子供のこなたに見えたのだ。
それが今では子供らしく丸みを帯びて、肌の色も赤みが差している。身体も――やっぱり同じ年の子に比べると小柄だけれど大きくなった。
それが私には誇らしい。
「あんなに小さかった子がもうすぐ小学生だもんなー」
日下部は笑うと、「あたしたちも年くったもんだ」と言った。それで思い出したので私は急須にお湯を注ぎながら、前々から日下部に言っていることを繰り返した。
「学校始まったら、たまにかなたどこか連れて行ってやってね」
「柊ー、それ何回目? わかったってば!」
日下部は声を立てて笑った。日下部は笑っているけれど、これは私にとっては結構深刻なことだ。私はカウンターに肘をついてため息を吐いた。
「翻訳業って在宅なのはいいけれど、週末に仕事が立て込むのが嫌よね」
言って、眼の下にあるはずのクマを撫でる。大学時代から教授に聞かされていたけれど、翻訳業は休みがなかなか他の人と合わせられない仕事なのだった。かなたが小学校に上がったら、どこかに連れてってあげる機会は今より減ってしまうだろう。勿論、合わせる努力は怠らないつもりだ。でも今回のように急な依頼が立て込んだりしまうことは少なくない。この年でフリーランスの身で仕事が多いのは喜ぶべきことなのかもしれないが、私は母でもあるのだ。悩ましい。普通の会社員をしていたら、と思わないでもない。しかしそうしたら、昼間はかなたを預けなくてはならなくなる。
そういう時は、一緒に暮らし始めてまだ二年だという事実を思い返す。引き取った時に三歳だったかなたを、仕事が忙しかったにも関わらず、保育園や幼稚園へ入れなかったのは、まずは“家族”になるのが先だと思ったからだ。まず誰より長い時間を一緒に過ごして、家族の絆を得たかった。
かなたと二人になった時のことを思い出す。
かなたと私が二人になって、初めて過ごす季節は寒い冬だった。
その頃の気持ちは、未だに整理がついていない。胸が苦しくて、苦しくて。新しく始まった人生を歩き始める、それだけで精一杯だった。ただそれでもよく笑っていた気がする。幼いかなたの手を握るのが、私の手だけになってしまったとしても――。
「お、かなた、おはよー」
日下部が立ち上がってそんなことを言ったので、私は顔を上げた。見れば、かなたが目を覚ましていて、小さなふっくらした手で、寝ぼけ眼をこすっていた。
日下部が傍に行くと、かなたは目をきゅっと開いて、表情をぱっと輝かせた。
「みさちゃん」
かなたは日下部のことをこんな風に呼ぶ。かなたに呼ばれると、日下部は嬉しそうに「よう!」と挨拶をした。そして、かなたの周りにちらばるブロックを拾い始めた。遊びの開始らしい。かなたはタオルケットを跳ね除けた。ああもう、いい子で寝てたのに。
ちなみに日下部の呼び名については、曲折があった。最初は『日下部おばさん』か『みさおおばさん』が候補だったのだけれど、日下部から異議が出た。
――あ、あたしはまだそんな年じゃないよ!
つかさなんかは関係としても叔母であり、一児の母でもあるので、『つかさおばさん』と呼ばれることを受け入れていたが、日下部は断固抵抗した。
そんなことに拘る日下部がちょっと意外で面白かったのもあるが、『母親と同じ年なんだしおばさんが妥当じゃないの?』と私が言っても、日下部は譲らなかった。そこで峰岸――今は日下部だけれど――から『じゃあ、みさちゃんって呼んでもらえばいいじゃない?』という提案が出て、それが採用された。同じ方式でまだ子供がいない旧姓・峰岸ことあやのも、『あやちゃん』と呼ばれている。
「おい、柊ー、かなた起きたし、プリン食おうぜー」
台所に立っている私に、ブロックで何かを作り始めた日下部が言う。それは用意を手伝う気がゼロなのが見て取れた。かなたが目を輝かせる。
「プリン?」
「おー、あたしが買ってきたんだぞー。柊、いーだろぉ?」
「はいはい」
私は答えながら冷蔵庫を開けた。
ブロックで器用に飛行機を作り上げる日下部に――日下部もブロックで何かを作ることが上手くなってきた――かなたが聞く。
「みさちゃん、今日、いつまでいる?」
「んー、いつまでいよっかなー。柊夕飯何?」
「まだ考えてないけれど…」
「じゃあ三人でどっか食いに行こうぜー、かなた何食べたい?」
「え? えっとねぇ――」

かなたのもう片方の手を握っていた手は、あいてしまった。
けれど、今はそのもう片方の手を、いろんな人が握っていてくれている。



illustration by マシマ








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