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「晴れた日に永遠が見える」第六話









「甘いもの、ふたつ」






「あーもう!」
山と積まれる仕事の前で、私は頭を抱えて声を上げた。
確かに翻訳は休日仕事だっていうのは分かる。クライアントとしても週明けに欲しいのも分かる。
それでも、それでも、スケジュールを調整して、今日こそは、かなたと遊園地に行くつもりだったのに。
フリーランスの身でこれだけ仕事があるという事は喜ぶべきことではあるけれど、それでもやっぱり私は一児の母であるのだ。
昨日の夜のご飯の時、「ごめんね、お母さん仕事で、明日の遊園地行けなくなっちゃった」と言った瞬間のかなたの落胆した顔は忘れられない。それでもかなたは「うん、わかった…」と健気に言ってくれたのだけれど。しかし小さなお茶碗を抱えてご飯を食べ続けるかなたは、今にも泣きそうだった。
「ぐあー!」
意味不明な悲鳴も出ようというものだ。
この仕事を片付け次第、平日であろうが休日であろうが、かなたを遊園地につれていくことに決めた。今決めた。
そうとなったら、とりあえず目の前の仕事を片付けなければ。私は眼鏡を整えると、前のめりになってパソコンを動かし始めた。
今日の遊園地がダメになった、と言って迷惑をかけたのはかなただけではない。一緒に行くはずだった友人だって、忙しい中に時間を作ってくれたのだ。
ちなみに今回は日下部ではない。今回は――。
その時、ピンポーンとチャイムが鳴って、私は「ああもう」と呟いて立ち上がって、居間にあるインターホンの前に行った。
「はい、柊です」
居間の隅の方に視線を向けると、そこではかなたが静かにブロックで遊んでいた。そのあまりの静かさに私が胸を痛めていると、インターホンの向こうから楚々とした声が聞こえた。
『あの、高良です』
「あ、みゆき?」
その声が聞こえるやいなや、かなたが立ち上がった。
「ゆきちゃん!?」
そして、インターホンの下に素っ飛んできた。その声が聞こえたらしい。インターホンの向こうから、みゆきが嬉しそうな声を出した。
『そうですよ、かなたさーん。かがみさんがお仕事と言うので、遊びに来てしまいました。ケーキも買ってきましたので、みなさんで一緒に食べましょう』
それを聞くと、かなたは玄関の方に駆け出して行った。
そうなのだ。今日一緒に遊園地に行こうと話していたのは、高校時代からの親友の一人、みゆきだったのだ。
私は笑いながら、玄関に向かった。

「お仕事中でご迷惑かとも思ったのですが」
「いや、助かったわよ」
みゆきにお茶を淹れて貰いながら、私はみゆきの買ってきたケーキを箱から出した。紅茶はみゆきに淹れてもらったほうが美味しいのだ。
「そうですか」
「うん、かなたの機嫌なおったみたいだし」
ついでに私の機嫌も、と心の中で付け加える。
テーブルの上に並んだケーキを見て、かなたは目をきらきらさせた。
「ふわぁ…おいしそう」
「ふふ、よろしければ、かなたさんから選んでください」
「いいの?」
「ええ、もちろんです」
みゆきはかなたに向かって、台所からにっこり微笑んだ。独身なのにキッチンカウンターが異様に似合う。みゆきは高校時代から長かった髪を今はアップにしていて、見えるうなじが女の私の目から見ても色っぽい。これではインターン中は病院中の男の人がみゆきに夢中になってしまっていたんではないだろうか、なんて思う。結局街の小さな診療所で開業医になったのは、良いことだったのかどうなのか。
しかし…。
それにしてもたくさんのケーキだ。
ブルーベリーやラズベリーのたくさん乗ったタルトや、美味しそうな狐色のチーズケーキ、赤い苺が眩しいショートケーキ、きらきら光るリンゴがたくさん詰められたアップルパイ、造形が美しい洋ナシのババロア、表面がカリカリのクレーム・ブリュレ、サクサクの生地の間にカスタードと生クリームを挟んだミルフィーユ、そして私の好きなチョコレートケーキもあった。
「こんなに買ってきてもらって悪いわねー。っていうか流石に買いすぎなんじゃ…」
「ええ」
みゆきは罰が悪そうに頬に手をやった。
「母から聞いた評判のケーキ屋さんに行ったんですが、店員さんのおすすめを聞いていたらいつの間にかこんなに」
「あはは、いい客ねー」
「どれも美味しそうで、かなたさんに食べていただきたくて」
そう言って、恥ずかしそうに頬を赤らめた。その表情はまるで無垢な少女のようで。顔の作りが丁寧なみゆきがそれをやると、何というか――あえて俗っぽい言い方をするならば、殺人的に可愛い。卑怯なくらい可愛い。大学病院に勤めていたときはこれにどれだけの男性患者がメロメロになったのか。
何かずるいな、と思っていると、かなたがケーキを前に「ほえー…」と言って、リスのように目をまんまるくした。
「かなた、どれにする?」
「じゃ、じゃあ…いちごの!」
「おっけー」
私は苺のショートケーキを手に取ると、お皿の上に載せた。
「みゆきは何食べる?」
「え? ええ、かがみさんが先に選んでください」
「私のは分かってるでしょ。これ」
言って私は笑いながら、これ見よがしにチョコレートケーキをお皿の上に載せた。みゆきは私の好物を知っていて、買ってきてくれたのだ。みゆきも笑った。
「ええ、ではアップルパイをいただいてもよろしいですか?」
「おっけー」
私はアップルパイをお皿の上に載せた。
お茶の用意が出来ると、三人揃って「いただきます」と言った。
仕事? あとでやるわよ。休憩休憩。
まず紅茶を一口。
「うーん、どうしてかしらね、つかさやみゆきが淹れると全然違うのよね」
「そうですか? ありがとうございます」
「かなた、おいしい?」
かなたは持ち方の不器用なフォークを手に、大きく頷いた。
「うん!」
「どこがおいしい?」
わざとそう聞くと、かなたはにっこり笑って、頬に手をあてた。
「ほっぺ!」
私とみゆきは笑った。
「かなたさんはいつもいつも可愛いですねぇ」
みゆきはそう言って、かなたの髪を撫でた。みゆきの元々柔和な顔立ちが、その綻んだ笑顔で、より一層柔らかなものになっている。まだ自分に子供がいないせいなのか、かなたの愛くるしさのなせるわざなのか、みゆきはかなたが可愛くて仕方が無いようだった。今日もさりげなく隣に座っているし。自分の子供が愛されるのは、母としては嬉しいことだ。かなたもみゆきによく懐いている。
かなたの頭を触りながら、みゆきが聞いてきた。
「身長は伸びましたか?」
「うーん、それがね、やっぱりあんまり伸びなくて」
「そうですか…」
その視線が少し真剣なものになる。
「恐らく何もないとは思いますが、よろしければまた一度健康診断に来ていただいてもよろしいですか?」
みゆきは小児科医なのだ。実家の近くで小さな診療所を開業している。そして彼女は、度々かなたの成長を気にしてこう口にするのだ。
日々アイツにそっくりになっていくかなたを見て、そう思うのは無理もない。毎日一緒にいると忘れてしまうけれど、かなたはやっぱり同世代の子に比べてかなり小柄なのだ。
「そうね、じゃあこの仕事が片付いたら、お宅にお邪魔させていたただこうかしらね」
「ゆきちゃんち?」
かなたが私を見上げる。かなたはみゆきの病院を『ゆきちゃんち』と呼ぶ。
「ええ、かなたさんがお厭でなければですが」
「ううん、ゆきちゃんち好き」
子供には珍しく、かなたは病院が嫌いではなかった。かなたにとって、病院は楽しい思い出もたくさんつまった場所なのだ。
「では一度遊びに来てくださいね?」
「うん!」
『甘い』のどっちだ

みゆきがにっこり笑うと、かなたは嬉しそうに頷いた。
「さて、じゃあ私は仕事に戻ろうかな」
ケーキの最後の一口を食べると私は机に手をついて席を立った。
「みゆき、かなたを頼んでいい?」
「ええ、もちろんです」
みゆきはにっこり笑って、それから手を顔の前で合わせた。
「あ、もしよろしければかなたさんをお連れして、どこかへ出かけてきましょうか?」
「ゆきちゃんとおでかけ? いく!」
かなたはすっかり機嫌を直していた。
「いいの?」
「ええ、車で来ていますし、折角のよいお天気の日曜日ですから」
みゆきなら任せて安心だ。かなたも乗り気なようなので、私はお言葉に甘えることにした。
「じゃあよろしく頼むわね。かなた、いい子にするのよ?」
「うん!」
まあこんなこと言わなくても、かなたはいい子にしているのだろうけれど、そこはそれ。母として一応言っておかなければならないことというものもある。
ケーキを食べ終わると、みゆきとかなたは手を取り合って玄関を出て行った。
出て行く前に、私はみゆきを捕まえて言った。
「はい?」
「言っとくけれど! かなたにあんまりもの買ったりしたら駄目だからね?」
みゆきは目を泳がせて「はい」と言ったのだけれど。
案の定それは無駄だった。
夕方になり、帰ってきたかなたの手には、小さな犬だか猫だがうさぎだか分からない変な生き物のぬいぐるみがしっかり抱かれていたからだ。
「ゆきちゃんに買ってもらっちゃった!」
嬉しそうに私に報告するかなたと対照的に、みゆきは視線を上に向けて罰が悪そうにしているのだった。
「よ、よかったわね、ありがとうはちゃんと言った?」
「うん!」
かなたが嬉しそうだから、まあいいか、と思いかけて、いやいや、ちゃんと言わなくちゃと思い直し。
私が呆れを含めた視線を向けると。
みゆきは小さく舌を出した。










illustration by マシマ







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