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「晴れた日に永遠が見える」第七話










「ストーリー」






『そのバイオリンの音が聞こえると、僕の心はまるで春の小熊のように弾む。
小さな青い葉をつけ始めた木々の間を抜け、透明に、きらきらと輝く小川を駆け、赤い土の色をしたレンガの塀の隙間からそっと覗く。そうするといつもそこには彼女の姿があった。
そのことを思い出す僕も、過去のそこにいる僕も、その光景を前にすると、溢れ出しそうな憧憬に、いつも涙を零しそうになる。
そして、言葉に出来ない。
彼女の庭。幼い僕はいつも、音を立てないように静かに彼女の姿を見守った。彼女が弓を振るう度に、そこには“音楽”が生まれた。きっと彼女の演奏は、多くの聴衆を虜にするようなものではないだろう。しかし、その瞬間は、華奢なその細い腕がとても力強く見えて、僕は何かの奇跡を目の当たりにしているような気がするのだ。』
それは子育てに似ているかもしれない、と思いながらキーを一つ叩く。
愛しい小さな生き物が一生懸命動く様は、何かの奇跡を目の当たりにしているような気持ちになる。もっともこの物語の『彼』と『私』の抱く愛しさは、大分種類の違ったものだけれど。
仕事が好きだ。言葉の違う国で生まれた物語を、別の国へ運ぶ。作者が感じたこと。遠い何処かの誰かがつむいだ言葉。それを誰かに運べるのだと思うと、誇らしい気持ちでいっぱいになる。ひとつずつ、それこそ小さな子供を見守るように、注意深く言葉を拾って、形にしていく。
(子供って不思議ね)
自分が育てているはずなのに、時々自分が育てられているような気持ちになる。かなたを育てるようになってから、詩や児童文学の依頼が増えた。かなたは私の何かを確実に育てている。そう思うと、いつも不思議な気持ちになった。
ものがたり
『そして僕は、その奇跡を前に、ただ佇んでいることしかできない。』
そこまで打って。
私は大きく伸びをした。外からは雨の音がする。もう梅雨に入って何日にもなる。今日は小降りのようだ。
私にとってその小さな雨粒の振り落ちる音は、集中力を促すもので、今日も想定していたより随分と進んだ。
そういえばかなたは、と自然に考えて、今日は実家に遊びに行っているのだという事を思い出した。
かなたはつかさの息子と仲がいい。だから忙しい日は預かってもらったりするのだが…。
本来なら今日は大きい仕事の大詰めの日で、大忙しのはずだった。しかし、昨日の夜にスイッチが入り、驚くほど早く進んでしまった。いつもこうならいいのだが、残念ながら生憎今日のような日は滅多にない。
(一呼吸置いた方がよさそうだな)
今まで自分が翻訳した部分をざっと見直して、そう思った。勢いがついた時は、勢いが止まるまでやり続けたほうがいい。しかし、勢いが一度止まったら、必ず一呼吸置いた方がいい。それがここ数年で掴んだ自分のスタイルだった。
そのままパソコンの画面をじっと見ていると、メールが届いた。
開いてみると、それは昔お世話になった翻訳事務所からだった。そこは私の大学のOBが開いた事務所で、駆け出しの頃はそこで働いていた。所長はとても私によくしてくれて、フリーになった今もよく仕事を振ってくれる。
(…面倒くさいの押し付けれている感は否めないけれど)
それだけ信頼してくれているのだ、と元同僚たちは言ってくれるし、それは心底感じている。あとかなたのことも知っているので、心配もしてくれているのだということもわかっている。
(けれど、ボスの「あーそういうのは柊にまわせ」って言ってる顔が目に浮かぶんだよなぁ)
現役時代よく言われた台詞だ。私が手を抜けない性格だというのを知っているので、入り組んだ仕事を任せるのだ。そしてそういうことをするのが憎めない人だった。
(ボスからかな?)
しかしメールの差出人は別の人間だった。名前を見て少し驚く。
それは大学の後輩だった。最近あの事務所に就職したというのを風の噂で聞いていたのだが、本当だったらしい。
(メールの内容はまぁ…仕事の催促か。それと挨拶)
必要以上に堅苦しい挨拶は、彼の真面目な性格を思い出させた。「よろしくお願いします」が二回も入っていて、大学時代に何度も聞いた彼の力の入った声が聞こえたような気がして、と少し笑った。
仕事自体はもう終わっていて、あとはメールで送るだけだ。
メールで送ろうとしてから、私はふと思いついた。
(ちょうど欲しい本があったのよね)
事務所は大きいブックセンターがそばにある。窓の外を見れば小雨。仕事は一区切りついた。
たまには古巣に顔を出してみるのもいいだろう。
私はパソコンの横に置いてあった冷え切ったコーヒーを一気に飲み干した。


私とかなたの住む町から、三度ほど電車を乗り換えた都心にその事務所はある。
地下鉄の駅を出て、角を曲がったところにある一階に喫茶店の入った小さいのビルの二階と三階がそのオフィスだった。
ここに来るのも久しぶりだ。手土産に駅ビルで買ったタルトをワンホール持って(所長は甘いものに目がない)、私はエレベーターで三階に上がった。
「こんにちは~」
オフィスに顔を出すと、そこらじゅうでパソコンとにらめっこをしていた人々が一斉にこっちを見た。
と言っても、六人くらいだけれど。
「柊さん!」
「久しぶり~」
元同僚たちが口々に言う中に、真っ先に立ち上がった影があった。
「柊先輩!」
それは大学時代の後輩だった。彼は背が低く、それなのに身体は鍛えてガッチリしているので、ゼミでは“ホビット君”と呼ばれていた。ちなみにホビットとはロード・オブ・ザ・リングの小人族の名前である。
数年ぶりに見た彼は頼りなかった学生時代とは違い、社会人らしい顔をしていた。
しかし、つい癖で私は彼をからかってしまう。
「本当にここに就職してたのね。元気? ミスター・フロド」
「ちょ、やめてくださいよ」
私がからかうと、彼はなぜかあんまり嫌そうじゃない顔でくせのある髪を触った。
同僚たちはそれを聞いて笑っていた。相変わらず、構われやすいキャラなのだろう。
「柊先輩こそ、元気ですか?」
「ええ。おかげさまで、何とかやってるわ」
「今日はどうしたんすか? 今ボスいないんですよ」
後輩は一番奥にある席を見た。そこにあるはずの所長の姿はなかった。
「ちょうど近くに寄る用事があったから、直接持ってきたのよ、ハイ。チェリータルトはみんなで食べて」
私は彼にCD-ROMとタルトの袋を渡した。ボスがいないなら、挨拶だけでいいだろう。
「じゃあ、そういうことだから、仕事頑張って」
「あ、ちょっ…」
私が踵を返すと、後輩が慌てたように私に声をかけた。
「何?」
「俺、これからすぐ休憩なんすよ。よかったら茶でも飲みません? もう三年ぶりでしょう?」
彼に言われるまで何年ぶりかは思い出せなかったのだけれど、確かに久しぶりだった。
彼とは仲もよかったので、久しぶりに喋るのもいい刺激になるだろうと思い、私は軽く頷いた。
「じゃ、下のスタバで。20分…いや15分くらいで行きますんで」
彼はパッと顔を明るくすると、軽く手を振り、席に戻って大急ぎで仕事をし始めた。
そういうわかりやすいところは何となくつかさに似ているような気がして、何となく私は彼を昔から弟のように思っていた。
私は他の同僚たちに挨拶をすると、エレベーターホールへ向かった。
(三年か……)
三年前。
それはちょうどこなたと再会した頃だ。
ズキリ、と心臓が痛む。
意思とは無関係にあの頃へ引き戻される。
あの頃。
三年前の、あの時。
再び出会ったこなたの前で、私は何の言葉もかけることが出来ず、立ち尽くした。
そして歩み寄ると、こなたは私に手を伸ばしてきた。
反射的に、私はその手を掴む。
その瞬間、離れていた私たちの距離が、再び近づいた音がした。
握った細い手の感触。それとは反比例した強い力。
こなたの大きな瞳が潤む。
そして、大粒の涙を零して、その頬に行く筋もの流れが出来ていく。
――お願い、かがみ
――かなたを、探して。
私の人生が別の回転をはじめる合図だった。
ぐっと奥歯をかみ締める。そして、息を吐いて、私はゆっくりと今日翻訳した物語の一節をなぞった。
『しかし、その瞬間は、華奢なその細い腕がとても力強く見えて、僕は何かの奇跡を目の当たりにしているような気がするのだ』
エレベーターが開いて、私は雨に濡れ反射できらきらと光る路上に目を細める。



『そして僕は、その奇跡を前に、ただ佇んでいることしかできない。』










illustration by マシマ









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