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「晴れた日に永遠が見える」第八話











「ミスター・フロド」




コーヒーショップに入ってしばらくして、気がつけば雨は強いものになっていた。
それでも不思議と空は明るく、降り落ちる雨の向こうには、雲の切れ間から差す日差しが見えた。
(不思議な天気だな)
店の入っているビルの前は坂になっていて、東京の雨に滲み、それでも光に当たる街が、低めながらも一望できた。雨の中で光の柱に照らし出される高層ビルは、まるで巨石の遺跡のようにも見える。
その光の筋を見て、私はぽつりと記憶の奥から零れ落ちてきた言葉を口にした。
「『天使の梯子』……」
そう雲の切れ間から差す光を呼ぶのだと、ぽつりと零すように彼は言った。
そんな彼に、私は言った。
――それなら本で読んだことがあるわ。
――さすがかがみん、ラノベオタク!
――普通の本で読んだんだよ!
そんなやりとりを、彼女と、彼女たちと何度繰り返しただろう。
そして、いつからそんな何でもない彼女たちとのやりとりを思い出す為に、感傷を必要とするようになったのだろう。
(それは、思い出せないな)
私と彼女が騒ぎ始めると、彼はいつも何か眩しいものでも見るような目をして、私たちを眺めていた。
――梯子かぁ。
六畳間のアパートの窓から雨上がりの空を見上げて、彼女は言った。
――上ったら、どこに行くんだろ。
「先輩!」
転がりだす。
ぼんやりとガラス越しに雨の向こうを見ていた私の後ろから声がかかった。
振り返るとそこには、後輩がいた。彼は私と目が合うと顔を綻ばせ、私の正面の席に座り、手にしていたラージサイズの飲み物を机の上に置いた。
「お待たせしてすんません」
「待ってないわよ。まだ十分くらいしか経ってないじゃない」
私は時計を見ながら答えた。コーヒーもほとんど減っていない。よくぞこの短時間で片付けてきたものだ、と思う。それともある程度もう片付いていたのだろうか。
「急ぎましたもん」
後輩は何故か照れたように笑って、さっきもしたように自分の頭に触れた。そう言えば、彼のこの仕草は前にも見たことがある、と思い出した。そうだ。大学時代に、ゼミで、飲み会で、キャンパスで、この後輩はよくはにかみながら自分の頭に触れていた。そんなことに今更気がついて、何だかとても懐かしい気持ちになって、私は頬杖をつきながら笑った。
「急がなくたって、別に何処にも行ったりしないわよ」
「そうですか?」
急に彼が真面目にじっと私の顔を見たので、私はちょっと驚いた。
「だって、昔から、先輩、いつもすぐどっか行っちゃうじゃないすか」
「ええ?」
そんなことを言われたのは初めてだった。
――あなたは、いつも、すぐ何処かへ行ってしまう。
自分はそう思う側であって、何処かへ行く側ではないと思っていたからだ。
「そんなことないわよ」
「そんなことありますよ」
私が否定すると、彼も即座に言ってきた。
「飲み会とかもいつも気づいたら帰ってましたし。今の所を辞めてたのだって、俺、全然知りませんでしたし。っていうかそもそも、先輩が今どうしてるかとか、どこにいるとか、大学の頃の誰に聞いてもほとんど知りませんでしたよ」
「探してたの?」
思わず私は聞いてしまった。すると彼は少しだけ眼を丸くしてから、机の上に視線を落とした。
「いや、探してたってわけじゃないんですけれど…。ここ就職するって以外、先輩、特に周りに何も言っていかなかったでしょう? それで、しっかりしてた先輩が、いつの間にか辞めてたとか知ったら………気になったら、変すか?」
いつの間にか彼は視線をまっすぐ私に向けてきていた。私はその視線を受け止めながら、昔の彼やあの頃の友人たちの姿を思い出していた。
確かに私は大学時代の友人には、あまり近況を連絡していない。彼のように心配してくれている人が他にもいるのかもしれない。そう思うと急に申し訳ない気持ちになった。
「変じゃないわ。ごめんなさい」
私は素直に謝った。
すると彼は笑って言った。
「先輩が素直に謝るなんて、思いませんでした」
「私だって少しは丸くなったのよ」
私も笑った。すると彼はまた真面目な顔になった。
「それって、やっぱり――お子さんの所為ですか?」
堅い表情だった。
「そうね、それもあるわね」
その彼の表情で、私は、彼が私と話したがった理由が解った気がした。
きっと彼は、この事が聞きたかったのだろう。
彼は予想に違わず、落ち着きのない表情になり、きゅっと眉根を寄せてしっかりとした顔を作ると、私を再びまっすぐ見た。
「先輩の……子供じゃ、ないんですよね?」
「血縁上はね」
「あの俺っ」
少し感情が先走ったのか、彼は言葉をそこで区切った。そして一息ついて、彼はもう一度言った。
「……俺、事務所で色々聞いちゃって。だから、その、柊先輩に直接話を聞いてみたかったんです。でももし不快になったら遠慮なく言ってください。止めますから」
「いいのよ。別に隠してるわけじゃないから」
私は笑いながら、コーヒーを口にした。
「まぁ聞いていると思うけれど、事務所を辞めたのは、かなたを育てる為よ。まだ小さいから一緒にいたくて。まだ早いとは思ったけれど、在宅で仕事が出来るからフリーになったの。仕事ばっかりしてたから、貯金も結構あったしね」
「先輩は……どうして」
彼は視線を机の上に落とした。
「かなた…ちゃんを育てる気になったんですか? その、全然血縁がないのに育てるなんて、大変なんじゃないすか? かなたちゃんの親戚とか、何も言わなかったんですか?」
「それを全部説明するには、かなり時間がかかるわね」
私は笑った。そして、目を細めて彼を見た。
そしてはっきりと言った。
「でも育てる理由は簡単。それは、私がかなたの『お母さん』だからよ」
彼は少しぼうっと私を見ていたけれど、やがて力を失ったように、背もたれに身体を預けた。
「……柊先輩は、いつも気が付くと、遠いところにいるんスね」
「だから何よ急に」
「俺、いつも思ってたんです。ゼミとかで楽しくしてても、柊先輩って羽目はずしたりすることなかったじゃないですか。柊先輩って、ここにいるのに、いつも何処か違う場所のこと考えてる感じがして……なんかそう、遠い感じがするんですよね。だから、俺、なんかそれがいつももどかしかったんですよ。そう今もです」
「考えすぎよ」
私は笑った。
「母親になれば、誰でも少しは変わるわよ。それにこの年なんてもう、子持ちでも珍しくないでしょ? だから私が誰かと比べて特別ってことはないわよ。考えすぎよ、ミスター・フロド」
茶化しながら、私はそこまで子供でも鈍感でもないので、彼の口ぶりから、何となく彼の気持ちに気づいていた。
目の前にいる彼が、私をどう思っているのか。
(気づいたのが『今』っていうのは遅かったかもしれないけれど……それじゃ結局鈍感だったってことか)
私は彼に気づかれないようにため息を吐いた。
あの頃はそれどころじゃなかったのだ。
たくさんの感情や初めて知ったことや新たなる経験や。
そして――あいつとあいつ。
そう考えると、あの頃の私は自分の基盤を自分の大学生活には置いていなかったのだろう。
だからあながちミスター・フロドの言うことも間違いではないのかもしれない。
(さて…どうするかな)
ミスター・フロドは私のことをじっと見つめている。顔の作りは悪くない。背は低いけれど精悍な顔立ちをしていて、意志の強そうな眼差しをまっすぐ私に向けてきている。性格だってよく知っている。ちょっと単純すぎるきらいがあるけれど、誠実。弟みたいに思っていたから、そういう対象っていうイメージではないけれど、相手としては悪くない相手だ。
(でも……やっぱりそれどころじゃないのよね)
今はかなたのことに集中したい。仕事だってやっと安定してきたところだ。
誰かと恋をしたいとかそういう感じはない。
(けれど……)
そうやって、私は自分の大学生活を袖にしてきたのではないだろうか。それなのに、彼はまるで我が事のように心配してくれている。彼の親しい誰かに親身になる姿勢が、打算やエゴではないのを、大学での付き合いからよく知っている。そんな人を『今はそれどころじゃないしそんな感じでもないから、サヨナラ』というのは、いくらなんでもあんまりではないだろうか。
(……。よし)
少し考えて、私は『それはとりあえず保留にして、友人として誠実に付き合っていこう』という結論に達した。告白されたわけでもないし、とりあえずこれでいいだろう。
(しかし、こんなことで悩むの久しぶりだな)
そう考えて、私は思わず笑ってしまった。
そうしたら、ミスター・フロドは不思議そうな顔をした。
「大学のみんなは元気にやってる?」
「はっ? はい、俺が知ってる限りでは、みんなボチボチやってますよ」
「そっかー、もう卒業して………何年だ」
「柊先輩は六年です」
「そっかそんなになるんだ」
かなたの生まれる少し前に卒業したのだから、よく考えたらそんなものかな、なんて考えていると、彼が鋭く名前を呼んだ。
「柊先輩!」
「うぇ!? はい!」
驚いて振り返ると、またそこにはまっすぐな視線があった。
「あの……さっきの話、かなり時間がかかるって言ったっすよね?」
「はぁ、まぁ……」
長い、長い話になる。
そう言うと、彼は「ちょっと失礼します」と言っていきなり立ち上がり、店の外へ出て行った。
席にコーヒーを残して行ったのですぐ戻ってくるだろう、と思い、そのまま待っていたら、予想違わずすぐに彼は帰ってきた。
「今会社に電話してきました。俺、今日このまま帰りです」
「え?」
「柊先輩は時間ありますか? よかったら、聞かせてください」
ミスター・フロドが、迷いのない眼で私を見ていた。









illustration by マシマ




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